|
ペットの健康を考えた安全で安心できる手作りフードやおやつをご紹介します ペットラブビズ
|
|||
新着商品!
ショッピングカートカートの中身
カートは空です。商品カテゴリ一覧特集 |
![]() 目の不自由な人を助ける犬の歴史は長いですが、それは第一次世界大戦後に正式に盲導犬育成プログラムが展開されてからのことです。 当時ドイツのポツダムにある訓練校でジャーマンシェパードを視力を失った退役軍人のための「ガイド」として訓練していましたが、 それは長くは続きませんでした。しかし、スイスに住んでいた一人のアメリカ人女性がその犬の訓練学校を知ったことにより、現代のアメリカでの『盲導犬運動』 へと最終的に発展することになりました。 そのアメリカ人女性の名前はドロシー・ハリソン・ユースティス。働く犬(軍用犬・警察犬)としてジャーマンシェパードを訓練、育成している裕福なフィラデルフィア(米国東部の都市)出身の女性でした。彼女がそのポツダムの訓練施設を訪れた際、彼女は盲導犬事業に深く感銘を受けました。そして1927年11月27日付けのサタデーイブニングポストにユースティスが、 「ポツダムの訓練校にならって盲導犬の訓練を組織化すべきだ。」と話した記事が掲載されました。 テネシー州のナッシュビルに住む盲目の青年、モリス・フランクがその記事を知り、彼はその記事を書いたユースティスに手紙を書きました。その手紙は、彼女の犬を目の見えない僕のために訓練してもらえないか・・・と言う内容でした。モリス・フランクは異なる2回の事故が原因で視力を失い、それ以来自分が他人に頼った状態でいることが嫌で仕方がなかったのです。彼はユースティスに「犬を僕のために調教してくれれば、他の目の不自由な人たちに教えてあげることができます。そうすれば、彼らも人に頼る必要がなるだろう」と伝えました。ユースティスはフランクが訓練のためにスイスに来ることが出来るのなら、彼からの依頼を引き受けると返事しました。 そしてフランクは盲導犬を持った初めてのアメリカ人となり、その盲導犬、「バディ」という名のメスのジャーマンシェパードはアメリカで盲導犬第一号となりました。 モリス・フランクは故郷のナッシュビルに帰り、ユースティスから受け取った1万ドルでユースティスとの約束を果たしました。フランクはアメリカで最初の盲導犬学校を設立するために精を出しました。そして1929年の1月29日にユースティスが書いた記事にちなんで「The Seeing Eye」という名前の組織を設立しました。その「The Seeing Eye」は 聖書にある言葉(Proverbs 20:12 "The seeing eye, the hearing ear; The Lord hath made them both"「聞く耳と、見る目とは、ともに主が造られたものである。」)からきています。 その組織の最初のクラスでは2名しかいませんでしたが、その年の終わりには目の代わりとなる犬たちと共に新しく"自由"を手にした17名の視覚障害者たちがいました。1931年には一年を通してのナッシュビルの天候が訓練に向いていないことにより、学校はニュージャージーに移転することになりました。
ジャーマン・シェパード・ドッグは安定した性格で、バランスが取れていて、大胆。自信に満ち、全体的に落ち着いており(怒った時以外)、性格が良く、注意深く、訓練しやすい。 History of Dog Guides: (日本語訳)
|
||
| Copyright (C) 2012 Arcadia Systems Inc. All Rights Reserved. | |||